ミャンマーの糸のこ一族2
渡航前、まさかの入院
俺は直腸あたりに神経を集中していた。
小腸から直腸へうんこが流れて行く様子を頭の中でイメージするんだ。さらにイメージはうんこを肛門まで移動させる。
右手には点滴の針、俺はベッドの上で、ただただ、うんこが出ることを祈っていた。
ここは木曽病院の4階病棟の窓際のベッドだ。
何故、俺は、、、。何故、こんなときに、と、頭の中で、いろんな思いが巡っていた。
矢野閣下になんと言おうか。
俺は腸閉塞で入院していた。
分別のある立派な大人なら、今回の渡航を自粛するべきだろうか。
2010年3月5日、渡航5日前、いつものように仕事をしていて、お昼休みに食事を摂って、ちょっと時間がたった頃に、お腹が痛みだした。はじめは、ただの腹痛でしばらくしたら治るだろうと思っていたのだが、事態は思わぬ方向に進み出していた。
仕事を早く切り上げて家に帰ったのはよかったが、たまたま親戚からもらったタイヤキ君を平らげてしまったことが、さらに様態を悪化させたのかもしれない。
その晩の深夜に妻の運転で木曽病院の救急病棟に向い、即、入院の診断を受けたことは、今、思えば不幸中の幸いだったのかもしれない。
もし、ミャンマーで腸閉塞を患っていたらと思えば、この事態は、俺を救うために糸のこの神様が腸閉塞になる時間を早めてくれたとしか思えないのだ。
実は、今回の腸閉塞で入院することになる以前から俺は少し嫌な予感がしていた。
大阪の母と電話で話していたときに「ミャンマーでお腹がおかしくならないように気を付けや」と母が言ったことが、妙に気になってしまったのだ。
何故なら、自分自身、最近、身体の疲れが溜まっていることを自覚していた。さらに、お腹がぐるぐる鳴ったり、張ったような感じがあった。微妙な痛みも感じていた。そのようなこともあって、以前、腸閉塞を患ったときのことを思い出し、少し不安に思っていたからだ。
ハードスケジュール、真夏の熱帯夜、大食い、ストレス、これらが重なったときに腸閉塞を引き起こしたことを思い出す。
今回も同じような状況だとも思えた。ミャンマーはすごく暑いと聞く、環境の変化は怖い。それも不安の要素であった。
ミャンマーへ行く前にやらなければいけない事がたくさんあった。4月3日からの東京の展示会のための作品作りが、かなり遅れていた。小学校のPTA会長としてやらなければならい研究発表のためのレポート作成の締め切りが近い。何故か急に入ってくる急ぎの注文や問い合わせのメール。また確定申告や年度末の会議や宴会。妻の帰宅が遅いことで、夕方以降の家事や育児もやらなければならない。様々なことが一度に重なって、それが肉体的にも精神的にもストレスが溜まっていたのだろう。
言ってしまえば誰もが抱えている問題かもしれないが、俺の腸は、昔やった腹膜炎の大手術の後遺症で敏感になっているんだよ。お腹の大手術をした人はご理解いただけるかもしれない。
腸閉塞で入院するのは今回で4回目。
癖になってしまったようだ。
ひひひ。
閉め切ったカーテン、右手には点滴、うす暗い病室のベッドの上。
この点滴がなければ、何人の人が病気で死んだことだろう。
点滴様、いつもありがとうございます。
さて、矢野閣下になんと伝えようか。
うんこ君、どか〜〜んと出てしまって、早く退院したいのだがね。
腸閉塞を患ったことがある人ならわかるが、便(うんこ)が出るようになれば、ほぼ助かったと思ってもよい。腸が動き出している証拠なのだ。ただ、はじめのうちは流動食を食べて、少しづつ固い食事へと移行していかねばならない。
急に食べる事で、また、再発してしまう危険性もあるのだ。
「うんこ」と「おなら」、彼らは健康のバロメーター、すっきり出ると、安心です。
俺は3月9日までに退院できるのだろうか、3月10日には中部国際空港近くの常滑駅のホテルルートインに泊る予定だ、次の朝は空港に8時に集合してシンガポール経由でミャンマーへ向うことになっている。
「神様、仏様、うんこ様〜〜〜〜〜〜、今回のミャンマー旅行は是非、行っておきたいのです。これはただの旅行ではないのです。電動糸のこ界の未来への第一歩なのです。きっと、そうなのです。」
俺とユタカ王国、そして糸のこクラフトエンターテインメント業界において、ミャンマーが大きな鍵を握っている。
シナリオは自分で描くものさ。
それに、俺の野生の感は、結構するどい。
俺は9日までに退院するぞと心に誓った。
病気は自分で治すもの。そう思っていれば、うんこも順調に出るさ。
「先生、9日には退院したいので、なんとか上手くやっていただけますか。」
俺は爽やかにお医者様に詰め寄った。
ダメと言われれば、諦めることも考えていたが、お医者先生は、3月9日夕方の退院の予定で、それに合わせて流動食のスケジュールを考えてくれたのさ。
結局、今回の入院のことは、とりあえず矢野閣下には黙っておく事にした。ミャンマーに行ってから言おう。前々日まで腸閉塞で入院していたなんていうと驚くだろうな。ふふふ。
俺は分別のある立派な大人ではなかった。
グッドラック!!木曽病院さん!!
お土産買ってくるからね!!
愛してるよ妻、そして子供達。
ミャンマーでは酒を我慢するよ、食べ物も、お粥やうどんを食べるようにするよ、よく噛んで食べるからね、お土産楽しみにしていてね。
妻よ、PTAのレポートは君に任した。どうしてもダメなときは副会長がなんとかしてくれるさ。はは。
そして、俺は体調に不安を抱いたまま、木祖村を後にした。
病院からもらった胃薬は俺の精神安定剤だな。ひゃひゃひゃひゃひゃ〜。
早くちゃんとしたうんこがでますように。(合掌)
バキューン!!
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コメント
ミャンマーとあったのに話が続かないので
疑問に思ってました。
決して無理をせずやりたいことはやって
思う存分ナルカリアートを放出してきてください。
誰だって突然の病気にさいなまれることも
ないとはいえません。
クリスチャンや仏教徒でなくても不条理な現実は
受け入れなくてはなりません。
僕の親ももう二人ともアラえい?80歳越えてますが
僕とて高血圧なので、いつひっくり返るかわかり
ません。
神様の決めた道をそれることは許されないの
です。
そんなわけですから、僕もあせらないで
地道に自分の心にたずねながらなるべく
他人の心配や懸念はおいておいて、光の
みえる方向へゆっくり歩いています。
ミヒャエル・エンデのMOMOのなかにも
ゆっくりしかも逆向きに歩くと不思議に
前へ進めるシーンがあります。
このことかと最近納得してます。
ではこの話はまたあとで・・・・。
投稿: あおおに | 2010年3月24日 (水) 09時00分
あおおにさん。
ミャンマーからはもう無事に帰国しております(*^-^)
ありがとうございます。
ミャンマー旅行記として、しばらくブログで掲載しようと思いますので、ときどきご覧下さいね//
あおおにさんのブログも拝見しております(o^-^o)
投稿: ナルカリ | 2010年3月25日 (木) 08時45分
さんくす。
昨日妹の家でナルカリ作品発見。
車輪つきのキリン。
結構デザインがぼく好みでした。
やっぱり糸鋸の切削ラインの美しさは秀逸ですね。
あらためて恐れおののきました。
糸鋸魔人恐るべし!!
投稿: あおおに | 2010年3月26日 (金) 07時01分