ミャンマー旅行記

2010年6月16日 (水)

ミャンマーの糸のこ一族16

マンダレーで面白かったの場所は、マンダレーヒルでもなく、シュエナンドー僧院でもなく、世界最大の経典クドードバゴダでもなく、マンダレーで一番面白かった場所は金箔工房から少し奥に歩いたところにあるライダーズショップと家具屋街だな。

マンダレーに到着して2日目は一番始めに金箔工房に案内された。ここは、日本でもよくある観光用に用意された展示場を見学することしかできなかった。

お土産品としても自分にはあまり興味はなかった。

ちなみに、ここでは金箔の張られていないウサギの木彫品を購入した。

金箔工房から外に出たら、道の向こう側にあるお店が気になった。道を渡って店を見ると蛇の皮で作った財布やベルトが販売されていた。どうやら、ここで作っているらしい。ミシンやら素材やらが置いてある。店のお兄ちゃんに頼んで工房も見せてもらったけど、ミャンマーの職人の匂いがするこの工房に作り手としては魅力を感じずにいられない。

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「おお〜なんだ、ここ、おもしれ〜」と俺は思わず叫んでしまった。

そこからほど近い所に、別のライダーズショップもあり、どうやら街の奥にはいろんな店があるようだ。

この街おもしれ〜じゃん。

ライダーズショップは一見の価値があった。蛇やネコ皮が並んでいる。何やらのガイコツもあった。
ミシンが格好よく置かれている。

こうい街の中で作って売るスタイル良いなあ。

こんな感じで糸のこ工房もやったら面白いだろうな〜と思った。

裁縫用のミシンに出会う事が出来た。この旅の間に木工用の糸のこミシンにも出会うことができるのであろうか。

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2010年6月11日 (金)

ミャンマーの糸のこ一族15〜バガンの若者達〜

バガンの砂絵作家の若者達のことを思い出す。

ガイド以外のミャンマー人と楽しく話したひとときだったかもしれない。

音楽があれば言葉が通じなくても良いって言う人がいるけど、絵やモノツクリも同じで描いた作品を見せあうことで、相手の心に接近した気持ちもなる。

寺院というのだろうか、バゴダといくのだろうか?ここでは塔と呼ぼう。石で出来た大きな塔の前で裸足になり、急な階段を上に登って行った。

こういうときは俺はサルのように駆け上る事ができる。すいすいと上に登り、まだ下の方にいる矢野閣下とガイドを見下ろし、叫ぶ。
「お〜〜〜い」

俺は子供の頃、木に登ったり、テトロポットの上を走り回ったり、そう言う事が得意な子だった。こういうことをやっているうちに無邪気になり、生き生きとしている自分を感じる。

塔の頂上付近は展望台のようになっており、そこからバガンの砂漠地帯と化した景色を見る事ができる。遠くまで続く大地とバゴダの塔、壮大な眺めだ。

上には若者のミャンマー人がやってきて、砂絵を買えと言って来る。
「スナエ、スナエ」

俺はそれを逃れるためではないが、昇には困難な場所に身を移動させた。

「砂絵はいらない」

ここでは男達なのだが、彼らはしつこく砂絵を進めて来る。
俺の横に別のミャンマー人が座り込み、彼も砂絵を広げて見せて
「スナエ」と言って来る。

俺はいらないってなんていうのかと思い地球の歩き方を開いて調べてみた。すると、そのミャンマー人がその本に興味を持って、見せてくれてとのこと。
彼はまじまじとその本を眺める。
「いらないって何て言うのか」と俺が質問していると
通じたようで、彼はある文字を指差して「へ、へん!!」とジェスチャー付きで教えてくれた。
「へ、へん!!か?」
「へ!っへん」だと言い、そのときに手を大きく振るジェスチャーをしろという。
「へ、っへん!!」」と俺は彼にやってみせた。

すると、今度は下方に居た若者が俺に
砂絵を持って来て俺に見せて何かを言っている。俺は意味がわからないのでガイドに通訳してもらったら、どうやら彼は、この絵は自分が書いたと言っているらしい。
 俺はどこかで仕入れた物を売っているのだと思っていたのだが、彼が描いているのかと感心してしまった。
 仏様などを描いた作品で色合いが美しくて好きな絵のタッチだった。
俺は砂絵がTシャツに描いてあったら欲しいと言った。
「Tシャツはないと言っています」とガイドが言うが、ずっと話ているうちに彼は明日までに描いて来ると言う。
我々は明日の午後、帰るということを伝えたら、明日のお昼くらいにホテルに持ってくるとのこと。
俺はTシャツを2枚、閣下が1枚注文した。
すごいパワーだ。彼はこれから帰って3枚のTシャツに絵を描いてくるというのだ。

彼らの目はまっすぐだった。
彼らを見ていたら、嬉しくなって来た。
俺と同じ。絵を描いたり物を作ったりする人間だ。
そして彼らは真っすぐだった。

バガンの夕方の景色をバックに、我々は記念写真を撮った。サンキュー!!

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翌日、彼は我々が観光から帰ってくるのを、ホテル付近で待っていて、俺の顔を見て「よかった」というような安堵の表情を浮かべて。

彼は見事にTシャツに絵を描いて見せた。

俺は彼に「ありがとう」と言い、持っていたガイコツカラリンを彼にあげた。
「my work,これは俺が作った」と伝わったかどうかわからないが、俺は作ったもので会話をしたかった。
「さらばじゃ若者よ、今度は糸のこを一緒にやろうぜ〜〜〜!!また会おう」感慨深いのは俺だけかもしれないが、砂絵描きとの若者とはいつかまた会いたい。

※Tシャツの絵は近日アップロードいたします。

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2010年5月14日 (金)

ミャンマーの糸のこ一族14

食事を終え、部屋に戻って、矢野閣下に電話してみたら、もう既に食事を済ませていたようだった。

「ナルカリさんは、朝市に行かれましたか?」
「いえ。まだ。」
「じゃあ、今から一緒に行きます?」
「行きま〜す。」

 ホテルの近くで朝市が行われている。ミャンマーの朝市は車道の脇に屋台が並び、朝食や飲み物、野菜やスナックのようなものが販売される。新聞や雑誌も販売されていた。お、これぞ、ミャンマーっていうのを体感できそうだなと思い、ちょっとワクワクだ。

 油で揚げたお菓子は、ドーナツ的なおやつだろうか、そういう店が多かった。

 屋台の向こう側には常設の店もあり、駄菓子屋やコンビニ風のお店もあった。ミャンマーらしからぬ派手でカラフル美容院もあり、コギャルのような雰囲気の店員がいて、ちょっと違和感を覚えた。

 テレビは普通に流れている。世界の情報も衛星放送によって入って来ているだろう。レトロではあるが、日本で言う現代的な若者文化が、ここに同居している様子が感じられた。

 俺は何を買う訳でもなかったけど、見て歩くだけで楽しかった。ミャンマーの日常が感じられるからだ。
 ここで、糸鋸寿司やったら面白いだろうな〜。そんなこと考えながら、あるいは矢野閣下と冗談を交わしながら見て歩き、朝市の記念に何枚か写真を撮ってもらった。

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マンダレーへの出発の準備が整った。ホテルのロビーに新しいガイドさんが迎えに来た。M社が用意してくれた、こちらも女性のガイドさん。

「ランボーのような男のガイドさんが来るかと思ってましたよ。」

矢野閣下がM社の社員に言った。

「男の方が良かったですか?」

「シュワルツネガーのようなムキムキマンが来ると面白かったです。」

矢野閣下のこの発言は、一瞬、勘違いされそうな発言だが、おそらく高野秀行さんの本を読破したことから、このような発言が出るのであって、けっして、マニアックな趣味があるわけではないことを読者の皆様には伝えておきたい。(高野さんの本にはゲリラ群などが道案内人として現れたりする)

 だいたい、我々二人は、路上で写真を撮り合ったりしていたから「日本人のおかまの旅行者だと間違われそうですね、おすぎとピーコみたいな。」と矢野閣下も、冗談ポク笑っていたくらいだ。

 我々は決して、そのような趣味は無いと言うことを、もう一度強調しておきたい。

 女性ガイドはミャンマーでは珍しく、太めの方だ。太めということは裕福な家柄なのかもしれない

「エリザベス(仮名)と読んでください」と名刺をくれた。

「何族ですか?」と矢野さん。

「ビルマ族です」

エリザベス(仮名)のお父さんは政府の方で、エリザベスも以前は政府の仕事をしていたようだ。夫は中国系のミャンマー人で、子供が二人いて、最近、ガイドとして復活したようだ。

「子供生んだので、しばらくガイドの仕事を休んでいました。だから、ちょっと日本語がわからないときあります。でも、大丈夫です」

 やはり日本語は上手だ。
 我々は用意されていた自動車に乗って空港へと向った。

 ヤンゴン空港に到着して座って待っていると
「見てください。あれはミャンマーの俳優です。」
 モデル風の格好いい男女が歩いていた。

「彼らは、すごく人気あります」

 ミャンマーの人気俳優かあ、そういうタレントもいるんだなあと、当たり前かもしれないことだけど、俺には不思議な気がした。それを説明するエリザベスが少し嬉しそうだったが、ちょっと芸能界好きなミーハーな女性にも見えた。日本人となんら変わらない普通の女性だ。

 民主化していない国でタレントや俳優は、どのような位置づけなのかだろうか、ミャンマーのタレントは戦後の日本のタレントのようにその地位は高いのではないかと思った。そして、いずれは俺もミャンマーから日本の人気糸のこタレントとして招待されることになるのかとも妄想した。

 日本で人気糸のこタレントとしての需要が無いなら、外国で売り出すのもひとつだと睨んでいる。この広い世界、日本で受け入れられなくても、外国で見事にはまって自分はここだぞと思える場所があるかもしれない。

 小さくは木祖村や木曽郡、少し大きくして長野県では、ちょっとは糸鋸亭ナルカリもご当地タレントとして知られて来たが、お金を取れるテレビタレントにはほど遠い。果たして糸のこタレントがテレビに出て出演料を稼げるタレントになれるのか、これは世界的に見て未知の世界だが、うかうかしていたら俺も老人になってしまう。糸のこで金持ちになるという野望はなるべく若いうちに実現したいものだ。

 リザベスは少しおっとりとした感じの人で真面目な人だと思えた。笑顔は少なく、出産の後、少し体調を悪くしていたとのこと、今も少し体力が無いようにも思えた。ちょっと、おばちゃんぽい感じだ。天然も入っているかもしれない。

「マンダレーは暑いですかね」とエリザベスに聞いてみたら、

「暑いです。40度くらいになります。いえ、50度くらいになります」

「え?50度、何、それ」

 おそらく何かの勘違いだと思うが、その発言からマンダレーの暑さが想像された。暑さに弱い俺はまた不安に襲われた。

 「大丈夫、大丈夫」と言い聞かせた。

 だけど、いくらなんでも50度はないだろう

 飛行機はプロペラ機だった。
「プロペラ機かあ、揺れるのかな?」

飛行機は狭かったが、ちょっと手軽なバスのような感じで俺にはジェッット機よりも、プロペラ機の方が楽しそうに思えた丁度よかった。

「吊り革で立って乗れそうですね」と矢野閣下。

 飛行機は一度、バガンで客を降ろし、再びマンダレーへ。エリザベスがいなければ、我々は間違えてバガンで降りていたかもしれない。

 プロペラ機はジェット機よりも「飛んでます」って感じがしたが、揺れると「大丈夫かなあ落ちないかなあ」と不安な気持ちになった。気のせいか、パイロットの運転も下手な気がしたが、無事にマンダレーに到着した。


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2010年4月24日 (土)

ミャンマーの糸のこ一族13

バゴダを後にして、今度は買い物ツアーだ。はじめにダウンタウンにある布製品の店に立ち寄ったのだが、道を歩いていたら、ミャンマー人がこちらをじろじろと見るから落ち着かない。そんなに外国人が珍しいかい。でも、この街の雰囲気も、やっぱ面白いぜ。
「どうして、アパートの窓に鉄格子がしてあるの?」と言う問いに、ガイドは「落ちないため」「泥棒に入られないため」だと言う。ミャンマー人は敬虔な仏教徒が多いから治安が良いとガイドブックに載っていたが、やはり泥棒もいるのだな。ふーむ、なるほど。
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 そして布製品に店に入り、俺はこの店で、娘のお土産にとバッグを買った。11000チャット。11000チャットと聞くと、すっげー大金のような気がするが、ドルだと11ドル(日本円だと約990円くらい)だ。ドルで支払おうと思ったら、ここはチャットの店だと言われたので、行政書士の先生のにチャットとドルを交換してもらって支払った。
「値切らずに、買いますね」と、女性社長に言われたが、純真な俺は値切ると言う行動など思いつかなかった。長野県民は値切るという行為はあまりしない。大阪生まれの俺だが、もう、すっかり長野の人かな?なんてね〜。

 そして、次は、高級住宅街の中にある「アートアンドデコ」というお店に向かった。ここは高級住宅が立ち並ぶ界隈だ。さっきまでのダウンタウンと違って一軒家ばかりだ。丘の上のいわゆる山の手の高級住宅地という感じ。お金持ちや外国人が住んでいるとのこと。神戸の異人館通りのような町並みを見ながら細い道をバスが上る。そんな高級住宅地の中にある、ちょっと洒落たお店が「アートアンドデコ」だった。
 この店には漆製品、銀製品、木製品、アクセサリーが扱われていた。
 初めに目についたのは、木で作られ、色が塗られた木彫りの人形。ミャンマーには135の民族が存在するとのことだが、この人形はミャンマーの民族を象ったものだ。日本のフィギュアのような人形でなかなか奇麗に仕上げてある。結構な高級品だと思われた。
 結局フィギュアは買わずに娘用にとブレスレットを、そして、鹿の形をした銀のフォークスタンドを買った。これは末っ子が喜びそうだ。
「お土産買って来てね」と目を輝かせていた末っ子の可愛い顔が思い出される。
 実は俺は旅先に行くとお土産屋さんを見るのが大好きだ。大学生くらいのときに愛媛県の母の実家に行ったときなんか、彼女もいないのに真珠のアクセサリーが欲しくて仕方がなかった。ああいう奇麗なものを見ると自分自身が乙女チックになってしまうのだ。奇麗なものを見ていると飽きない。何時間でもずっと眺めていれる気がする。
 子供へのお土産と言いながら、結局、自分が美しいと感じるものが欲しくなる。娘へのお土産ばかり選んでしまうのは、そのせいだと思う。
 その店には隣接して工房があるとのこと、木工の見学ができるというのはここのことだったが、時間が遅くなったので、あいにく工房は閉店となっていた。
 そして、もう一軒、別の漆の店を回ってホテルに戻った。

その晩の食事はM社の案内で、ちょっとした晩餐会だ。ここでも、何処のなんというお店に行ったかはメモもしなかったが、このあたりでは高級なレストランのようだった。湖の上のレストランだったと思う。
 入口あたりに王様と王女だかの格好をした若い男女が座っていたが、店に雇われているモデルだと思われた。そこで記念撮影もばっちし。
 このお店はタイ料理の店とのこと。料理はバイキング式になっており、ステージもあり、ミャンマーの糸操り人形やミャンマーの民族舞踏などを見せてくれる。
 我々はそれぞれに料理を取りに行き、全員揃ったところで乾杯となった。俺はここで、とうとうビールで一杯って行為に踏み切った。
「ははっはははは。ビールはやはり上手いぜ」
  しかし、やはりビールはまだ危険だ。初めの一杯だけにして、残りの時間はミャンマー茶を飲むことにした。ちょっとハーブティーのようなお茶だが、俺はこのお茶にはまってしまった。俺は、このお茶を何杯もお代わりして飲んだ。身体に良い気がした。
 料理は、格別美味しいというものではなかったが、スパイシーな味つけがたまらなく俺に合い、お腹に良い影響を与えてくれるような気がした。
 「ふふふ、ふふふふふふ。」
 他の一行とは今日でおわかれだ。明日からは閣下と二人で別行動となる。
 古代遺跡や気球の旅が待っている。
 だが、俺はやはり腹に不安があった。明日からも、かなりのハードスケジュールになるようだ。毎日、飛行機に乗り移動することになっていた。移動の移動。このハードスケジュールで体力を失うと俺の腹具合はどうなるのだろうか?実は、ちょっと怖じ気づいていた。
 まだ、腹の調子が完全に完治したというわけではない。果たして無事に旅を終えることができるのだろうか。
 早く寝て、体調を整えるしか無い。とにかく体調管理だけは気をつけよう。そう思った。そして、時間が経てば、体調は快復していくだろう。
 寝るぞ〜。
 寝た。
 起きた。
 夜2時くらいだ。
 そして、トイレに行った。
 何故か、丑三つ時に目が覚める。今晩もうんことの闘いだ。いや、今回はうんことの対話と言っておこう。
「出た〜〜〜〜〜。」、結構、まともな形の便だ。
「やったぜ便ビー(ベイビー)あああ、おっほほっほー、お〜ほほほほほ。」、キャラメルコーンのコマーシャルを思わず口ずさんでしまいそうだった。
 俺は、ようやく形となってきた便を出したことで、少し安心した。
 さあ、寝るぞ〜。
 寝ようと思っていたら、笑いがこみ上げて来た。何故だ、しかし、これは別にうんこが出たことが嬉しかったせいではなさそうだ。
 わかった。きっと、ミャンマー茶の効果だ。
 実はミャンマー茶には笑い薬の効能があるのではないか?そんな風に思った。
 俺はヤンゴンでホテルのベッドで横になりながら、夜中の二時頃、一人で笑っていた。
「ふふふ、ふふふふふ、ははははは」
身体の力が抜けたような感じ、スパイシーな料理とミャンマー茶の効能のおかげで、俺は心身共にリラックスしているんじゃないか、そう思った。
 ありがとうミャンマー茶!!
 あなたは笑い薬なのですね。
「ふふふ、ふふふふふ、ははははは、ひゃひゃひゃひゃひゃ」
 そして、俺は眠りについた。

 朝は気持ち良く目覚めた、シャワーを浴び、朝食に行く支度をした。7時半に矢野閣下とレストランで待ち合わせをしていた。朝食はホテルの1階のレストランで、こちらもバイキング式になっている。
 俺はレストランに入って矢野閣下を探したが見当たらないので、とりあえず、一人で食べることにした。
 このレストランにはミャンマー料理からインド料理、タイ料理、日本料理まで用意されていた。
 ミャンマーの主食はモヒンガだと聞いていた。米で作ったソーメンのようなものだという。このモヒンガは是非食べておかなければならない。
 「さあ、食べるぞ〜。」
 M社のマネージャーがやってきた。
「矢野さんは一緒じゃないんですか?」
「ええ、まだ来られないみたいです」
「一緒に座ってもよろしいですか?」
「どうぞ」
 M社のマネージャーは俺よりも2、3歳若いようだが、しっかりしている人で、将来はM社をしょってたつ人物ではないかと矢野閣下は言っていた。マネージャーにいろいろミャンマー情報など聞きながら、食事に浸った。
  俺は、やっぱり、このスパイシーな味が身体に合うようだ。どんどん、健康になっていく気がする。もしかして、俺の前世はミャンマー人だったのか?なんて思った。
 モヒンガも美味い。スープが美味い。モヒンガは、スパイジーなスープのソーメンだと思えば良い、もちろん、店によって味付けは違うのだろうが、なんとも言えない匂いとススパイシーな味付け、病み付きになってしまう。
 「うちは学校もやってるんですよ」
 M社はミャンマーで学校をやってりうのだと話してくれた。どのような学校だろうか、日本語を教えたりしているのだろうか。
「糸のこ教室とか出来たら面白そうですね」
 俺は、さりげなく宣伝をしてみた。
 ミャンマーで糸のこ教室。夢のような話だ。きっと、ミャンマーの子供達は喜んでくれるし、ミャンマーの新しい観光産業としても糸のこ木工は注目できる分野だと思う。
 ミャンマーで糸のこ学校、いつか現実になるだろう、きっと。


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2010年4月21日 (水)

ミャンマーの糸のこ一族12

 我々はバスに乗ってヤンゴン観光に出かけた。どこに連れて行ってくれるのだろうか?

「あ?両替していない」

 何か買いたいと思ってもチャットを持っていない。チャットとはミャンマーの通貨のことだ。

「私は両替してきましたよ」

 行政書士の先生は両替した札束を見せてくれた。

「もし、何か買い物したいときは貸して上げますよ」

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 俺はちょっとしたお土産になるものがあれば買って行きたかった。ミャンマーでは糸操り人形が盛んだと聞くので、子供達に操り人形でも買って帰りたいなと思っていた。

 太鼓も買って帰りたかった。ミャンマーではどんな太鼓を使うのだろうか?イトノコショーで使えそうな手頃な太鼓があれば是非手に入れたい。

 さて、ミャンマー交通事情はどうしてこんなにごちゃごちゃしているのだろうか?「ピーピーピー」とクラクションを鳴らしながら、追い抜き追い越しがやたら激しい。ぶつかりやしないかと心配になる。

 交通事故がないのか?
 交通事故はあるけど、あまり公表はされないらしい。

「バスを降ります」との声で、我々はバスを降りる。ガイドさんがいろいろと説明をしてくれるが、俺は話を聞くよりも、周りの人や景色に目を奪われる

  俺はガイドさんの説明が頭に入っていないので、いったいどこに連れて行ってもらったのか、名称等は覚えていない。ちゃんとメモをとっておけば良かったと今更、後悔している。

 ここでは確か、何かの建物を見せてくれていたと思う。昔の何やらの建物だった。

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 絵はがきを手に持った少女が近付いて来て、買ってくれと、絵はがきを差し出してくる。いらないという素振りを見せても、ずっとそばから離れずに絵はがきを差し出してくる。絵はがきセットが2ドルだと言うが、そのように押し売りさせると欲しくなくなるのが人情だ。
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 バスに乗り、次の場所に移動した。
 ヤンゴン川だった。ヤンゴン川は泥の川という印象だった。幅の広い大きな川、向こう岸まで数百メートルあるだろうか?

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 このような川を見るより、俺は街の喧騒を見る方が楽しかった。もっと、街を案内して欲しいな。

 「車の中で靴を脱いでください。」
 どこかのバゴダについた。バゴダでは裸足で入らなければならないからだ。

 自動車を降りたら、すぐに花飾りを持ったおじさんが近付いて来た。 また、買ってくれと言っている。
「いらない」と言っても、このおじさんもしつこく迫ってくる。

 俺は、こういう押し売り的なことは政府が厳しく制限しても良いのではないかと思った。観光客にとっては迷惑ではないかと思う。あまり、しつこくしすぎるのは考えものだ。押し売りする方が売れるのか、黙って座っている方が売れるのか、きっと押し売りする方が売れるんだろうなあ〜。

 バゴダの玄関口の壁の上の方に四方を囲むようにして絵が飾ってあった。ガイドはその絵について一枚一枚丁寧に説明してくれる。あまりに丁寧で詳しく説明してくれるものだから、こちらは幾分、疲れて来た。でも一生懸命、説明してくれるものだから、聞いてあげたいと言う思いもあり、最後まで聞いたが、ほとんど内容が頭に入らなかった。

 「聞いてくれてありがとうございました」

 ガイドは話し終えて、すっきりしたような顔でそう言った。少し笑顔もあった。その一生懸命な姿は素敵だし、ミャンマー人て純真だなあと思った。

こんな言い方をしたらミャンマー人に怒られるかもしれないが、バゴダはうんこのような形をしている。うんこを縦長にして金箔を張り巡らしたような形、それがバゴダだ。確か、その形の意味を、ガイドが模型を見ながら説明してくれたのだが、やっぱり、俺は忘れてしまった。

 中に入ると、やはり壁も一面に金箔が張り巡らされていた。金(きん)の世界だ。

 これがミャンマーだ。ミャンマーは金(きん)の世界だ。

 銀じゃないんだ、金だ。

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 バゴダの中では拝んでいる人が何人もたが、皆、建物の隅っこで拝んでいた。

「どうして隅っこで拝んでいるのですか?」と女性社長が尋ねると。

「自分の生まれた曜日の方角で拝んでいるのです。ミャンマーでは生まれた曜日を大切にします。」
 
 ミャンマーの生まれた曜日は日本の星座占いと違い、仏教的な意味合いがあるから、その重要度は星座占いの比ではないと思われた。

 バゴダ内部では金箔の修繕作業が行われていて、若い職人が下地作業をしていた。こうやって、働いている職人は、観光客を気にすること無く、写真を撮られても仕事に集中していて、その様子は日本の職人となんら変わらない気がした。

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 こういう姿を見ると、モノを作る人間というだけで、俺は共通の何かを感じることができる。地球のどこへ行っても、モノを作る人間はやはりモノを作る人間の姿で有りうるのではないだろうか。

 さて、ガイドさんは日本語は4年前くらいから習ったとのことだけど、よく上手にはなせるものだと思った。俺は中学生のときから約6年間は英語を勉強したわけだが、情けないことに、まともに会話など出来ない。日本の英語教育がいけないのか、俺が馬鹿なのか、いや、そういうことではない、俺の友達も同じように話すことができない奴らばかりだ。話すという必要性がなければ言葉など覚えられるものではないというのが結論だろう。 

 ミャンマー語で「ありがとう」は「チェンズーティーバーディー」。これだけは覚えておこう。まず、「ありがとう」と「ごめんなさい」「こんにちは」、これだけ話せればなんとかなると思った。そして笑顔があれば、世の中なんとかなるさと思いたい。

 俺は、ことあるごとに「チェンズーティーバーデー」と言うようにしたのだが、どうも、これが上手く通じない。俺の発音がおかしいようだ。もしかしたら俺は聞き取りが下手なため、発音が上手くできないのではないかと思った

「もっと簡単は、テェンズーバーでも大丈夫」
とガイドが教えてくれた。

 「『こんにちは』はミャンマー語ではどう言うのだっけ?」

「『こんにちは』は、ミンガラバー」

「ミンガラバー」

「そうです」

 俺はこのミンガラバーが旅の最後まで覚えられなかった。どうして、こんな簡単な言葉すら覚えられないのだろうか、俺の記憶力はほとんど衰えている。

 バゴダから外に出て、バゴダの周りを歩いた。俺は素足で歩くことはお腹に調度良い刺激になると思い、これは良いチャンスだと思い率先して歩き回ったが、鳥のフンを踏んづけたり、アイスクリームを踏んづけたり、さすがにアイスクリームを素足で踏んづけたときはまいっちゃったぜ。
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「だれだ〜、アイスクリームを地面に落とした奴は〜。怒っちゃうぞ〜俺は」

 でも、俺は結構、そういうのが大丈夫なタイプ。すぐ乾くさ。ヒヒン。

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ガイドさんとバゴダの前で


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2010年4月13日 (火)

ミャンマーの糸のこ一族11

集合時間が近付いて来たのでロビーに降りる事にした。
 エレベーターの途中の階で乗って来た男性が俺にこう言った「ジャパニーズ?」
「お〜、ジャパニーズ」
「アイム、チャイニーズ」
「お〜」
「ミャンマーは初めてですか?」
「はじめて」
「○×◎□××◎□××◎□×」
 最後はなんて言ってるのかわからなかった。
 話をする前から日本人だとすぐに言い当てられてしまう。日本人は日本人的な匂いや服装をしているのだろうか。

 昼からのヤンゴン観光はヤンゴン到着時のガイドの女性が案内してくれるようで、一緒に同行する方は行政書士の先生と電気会社の女性社長の方だった。

 女性ガイドはたいへん笑顔の素敵な方で、親しみの持てる方だ。やはり笑顔は万国共通に人を安心感でいっぱいにしてくれる。

「どこか行きたいとこありますか?」
「木工所とかって見る事で来ますか」
「わかりました。木工所で見学出来る所があるので、そこに行ってみましょう。」
「糸のこって知ってますか?」
「糸のこ?」
「僕は糸のこを使って木のおもちゃ等を作るのが仕事です。知ってます?糸のこ」
そう言って、手で糸のこで板を切る仕草をしてみせた。

 もしミャンマーに電動糸のこがあったら、それを見てみたいと思った。それを扱う木工職人がいたら、是非、糸のこの話で盛り上がりたい物だ。

 ホテルの壁にはランマのような木の装飾品が飾ってあるが、おそらくチーク材で作られた物だと思う。これも電動糸のこを使って作ったものだろうか?

 ミャンマーのガイドの女性は電動糸のこを見たことが無いようだった。いや、それ以前に、日本人のどれくらいの人が電動糸のこを知っているのだろうか。

 知らないあなたのために、電動糸のこについて説明したいと思う。

 糸のことは弓型の鉄枠に糸状のノコ刃を取り付けたノコギリのことだ。それを電動式にしたものが電動糸のこと言って、小学校や中学校の図工室や技術家庭科室には必ずと言って良いほど置いてあるのではないだろうか?学校で一度は使ったことがある人もいるのではないだろうか。

 電動糸のこは糸のこミシンと言われる事がある。それは裁縫に使うミシンと同じような感じで木を切り刻んでいくところからその呼び名がついたのだろう。その歴史を辿れば、そもそもハンドタイプの糸のこを、足踏みミシンの動力を利用して動かしたのが電動糸のこのルーツで、足踏み式が電動式になり、今の電動糸のこの形になったのだ。だから「糸のこミシン」と言う言い方は、そのものズバリだと言える。

 その形状を言葉で上手く説明することは難しいので、実際に写真や図を見ていただくしかないのだが、足踏みミシンの針の部分が細いノコギリになったものが電動糸のこだと想像していただければ、だいたいの雰囲気がわかっていただけると思う。

 電動糸のこは、製造メーカー等によって形状や切削するための仕組みに違いがあり、ユタカ王国のものは日本の糸のこ機械ではポピュラーなもので、初心者からベテランまでが使いやすい機械だと言えるだろう。

 俺が使用している糸のこは、ユタカ王国のYSC500—Fという機種で、卓上型の糸のこの中では最高位に位置する機種である。この一台があれば木のおもちゃの制作からイベントの糸のこ実演やショーまで、すべてをこなしてくれると言っても過言ではない。

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 俺が糸のこ界において新たな分野を築いて来れたのも、このYSC500—Fのおかげなのだ。この糸のこがなければ、糸鋸寿司も糸のこロックも、イトノコマシンガンズも生まれて来なかったかもしれないのだ。まさしく、俺にとっては生涯の相棒だ。

 電動糸のこがあれば、木の板を自由自在に切抜く事ができます。

 電動糸のこがあれば、木のおもちゃを作ることができます。

 電動糸のこがあれば、大好きなあの人にプレゼントを作ることができます。

 電動糸のこがあれば、子供達に木の良さを伝えれことができます。

 電動糸のこがあれば、木のおもちゃ作家になれるんです。

 そして

 電動糸のこは、ただ木を切るためだけの機械ではありません。もしかしたら世界平和の道具になるかもしれない。

 電動糸のこで木を切って、ものを作ることを仕事として来て、苦悩しもがき苦しみ、罵倒され、侮辱され、そして、さらにもがき苦しんだ。 

 だけど、気がついたら、少し大きな壁を乗り超えることが出来ていた。

 何かが掴めた気がしたんだよ。

 そのとき気がついたんだ。何かに打ち込んでずっと前を向いて進んでいれば、いつかは手に入れることができることを。手に入れたら、また次の目標が現れる。そしたら、また、前を向いて、信じて進んで行けば良いってことを。

 その途中に、いろいろな発見があるんだよ。俺はイトノコエンターテインメントをあみ出した。

 糸のこでモノを作る仕事が、ただ木を切るためだけの、ただ木でパズルを作るだけの仕事だと決めつけられたくなかった。可能性は無限にあるのだと言う事を俺は証言してみたかった。その表現手段が俺にとっては電動糸のこだった。

 スポーツや音楽と同じように、もっとポピュラーでエンターテインメントのジャンルとして確立させたい。そう思い始めたら、それが俺の使命となった。俺は自分の仕事をもっと面白く、もっと格好いい仕事にしたいんだ。

 悪いかい?

 子供達が憧れる仕事、それが糸のこエンターテインメント。その歴史を俺が作る。誰もやったことがないことを見つけて実践することが、それが俺のやり方だ。糸のこがあれば、すべてのことを実現できる。それは間違いではないんだ。

 糸のこっていうのはそういうものなのだ。

 わかるかい?

 そして、今、俺は、いろんな場所で糸のこショーをやることに心ときめく。そこが行き着く場所とは言わない、でも少なくても今、やりたいことなんだ。

 山のてっぺんでも、船の上でも、南極でも、あるいはアフリカのサバンナでも、そして世界各国で、もちろんミャンマーでも、チャンスがあるのならどこへでも飛んで行き、電動糸のこをやってみたい

 そして君のために、小さな木の切り抜き細工をプレゼントするぜ。

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2010年4月11日 (日)

ミャンマーの糸のこ一族10

 初めてのミャンマーは、目に入るものすべてが面白い。

 幌付きのトラックの荷台には、たくさんの乗客と思われる人達が積み込まれ、座れない乗客は幌の柄をつかんで気持ち良さそうに乗っている。

 あれはタクシーなのだろうか?

 レトロな車がひっきりなしに行き交うヤンゴンの道路、その道路では混雑している自動車の隙間をぬって横切ろうとする人がたくさんいる。

 絶対轢かれるぞ。ここには信号は無いのか?

 街を行き交う人々。

 ロンジーというスカートのようなものを男性も女性も履いていて、男性も女性も肥満の人はまずいない。ほとんどの人はスリムでモデル体系じゃないか。


 格好いい。
 俺も見習わなければ。

 俺はミャンマーの面白さにうかれてしまい、気持ちはほとんど観光気分であった。

 会社の重要な業務でミャンマーに来ている矢野閣下や他の会社の社長さんや、M社の社員とは違い、俺はこの旅の意義を自ら作り出さねばならない。その意義とはまぎれも無く糸のこエンターテインメントの可能性と新しい糸のこ世界の可能性を発見し、且つ、今後に生かすべくネタを見つけるということである。

 さて、これまでに、矢野閣下から数冊のミャンマー関連の本を借りた。高野秀行さんの「ミャンマーの柳生一族」「アヘン王国滞在記」と「旅行人156号ビルマ東西南北ミャンマーへの旅 (雑誌)」と「地球の歩き方ミャンマー2009」だ。

 特に高野秀行さんの本は傑作で、この本を読んだことで、ミャンマーへの興味がどんどん湧いてきた。ヤンゴンなどの都市や政治をテーマにした本ではなく、一般人があまり知ることがないミャンマーを描いた内容なのだが、その本からミャンマー人の人柄や、ミャンマーの魅力的な一面を知る事ができた。

 本を読むにつれ、ミャンマーへの感心が大きくなってきた。誘い込まれているようだった。きっと矢野閣下も同じ思いだったのではないだろうか。

 しかし、何故、「ミャンマーと糸のこを結びつける必要があるのか?」と、問われれば、俺はこう答えるしか出来ない。

「ミャンマーだったからです。」と。

 ユタカ王国がミャンマーとの接点を持っていた。理由はそれだけだ。 しかし、ただ、本当にただ、それだけだろうか。この地に降り着いて何故か惹かれて行くこの気持ち。この踊り出したくなる気持ちはなんだろう。もしかしたら、もっと神懸かり的な何かが俺をこの地に呼んだのではないだろうか。とまで思うと、ちょっと行き過ぎかもしれない。

 しかし、たまたまミャンマーだったわけではあるが、数年前に立てた年間テーマは今回の渡航に繋がっていた。

 2008年、年のはじまりに企てる年間テーマを「糸のこ国際化」として、国際的なイトノコマンになることを目標に「糸のこワールド」に取り組みたいと願ったことがあった。その年、国際化というテーマで何が出来たかというと、まったく何も出来なかった。

 しかし、その後、そのテーマが現実に近付いたのだ。

 まず、手始めにイトノコマシンガンズの結成があった。アメリカ人のゾントビとチームを組んだ事は、まさに「糸のこ国際化」と言える。

 そして2009年にユタカ王国からミャンマーでのイベントのお話があり、ミャンマーで糸のこショーが現実となりかけ、それは諸般の事情からキャンセルとなったが、しかし、俺は、正に糸のこ国際化がやってきたのだと実感した。糸のこ国際化はミャンマーとつながった。

 そして、俺はそのチャンスの訪れに心が躍った。日本意外の国で糸のこショーが出来るということは俺の大きな目標だったからだ。

 だからミャンマーなのだ。それ以外の理由が必要だろうか。電動糸のこの新しい世界はミャンマーから始まるのだ。そして、それは世界に広がり、電動糸のこの新しい歴史が始まる。

 電動糸のこはただ木を伐るためだけの機械ではない。使う人間によって大きく意味が変わるのだ。もしかしたら、それはある意味、世界共通の言語の役割を果たすかもしれない。
何度でも言おう。シナリオは自分で描くものだ。

 ミャンマー連邦とユタカ王国、そしてナルカリ帝国は、「電動糸のこゴールデントライアングル」と呼ばれ、我々、糸のこ一族の時代は必ず訪れるだろう。 
 
 そして、その第一歩が今回の旅に託されている。次につながるチャンスを見つけて帰らなければならない。それが今回の渡航で俺に託された使命なのだ。
 
 ホテルについた。昼食はホテルの中にある日本食となった。俺は疲労からの腹の具合を心配してきつねうどんを注文した。同じテーブルに座っていた女性社長が、トンカツ定食のごはんを分けてくれるという申し出を丁重に断った。

 腹具合はまだ不安だった。このハードスケジュールとまだすっきり出ていない便、これが不安の原因だった。

 さて、その日のスケジュールだが、矢野閣下と他の社長さん達は、メインイベントである業務を行う予定となっていた。

 俺はとうとう閣下と行動を別にすることになった。まるで小学生の子供が親から離れる瞬間だ。

 どうやら俺以外に二名の方は午後からヤンゴン観光のスケジュールとなっていたため、俺もそこに同行させてもらえることになった。親戚のおじさんとおばさんと一緒に水族館に連れて行ってもらえる。そんな雰囲気だ。

 とりあえず、まだ時間があったので、しばらく部屋で休むことになった。

 ホテルの部屋はかなり広かった。こんな広い部屋に泊るのはめったにないことだ。そこそこな高級ホテルだと思えた。

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 俺は飲んでいなかった整腸剤を飲もうと思った。

 「あ、水はどこだ」。

 水道の水は消毒がされていないので絶対に飲んではいけないと教えられていた。ミャンマーではミネラルウォーターが当たり前のようだ。

 冷蔵庫を開けてもミネラルウォーターがない。俺は仕方なしに冷蔵庫に入っていた炭酸飲料で薬を飲む事にした。日本の炭酸飲料よりも甘いと思われるジュースで薬を飲んだ。
 
 飲んだらちょっとスカットした気分になった。

 よくよく見たら洗面台のところにペットボトルのミネラルウォーターが二本置いていた。聞く所によると歯ブラシをするときもミネラルウォーターを使った方が良いとのこと。そういう理由からミネラルウォーターが洗面台の上に置かれていたのだろうか。

 いずれにしても、飲んだジュースが俺の身体に元気を与えてくれたようだ。
 


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★上の写真はホテルの窓から見た景色


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2010年4月 9日 (金)

ミャンマーの糸のこ一族9

その晩、俺は夜中の一時くらいに目が覚めた。十一時くらいには寝たと思うので2時間くらいは寝ただろうか。
 目が覚めてトイレで用を足そうと思った。特に用を足したいわけではなかったのだが、ここで一発出しておきたいと思った。落ち着かなかったのだ。俺は養老たけしの「真っ赤な嘘」という本を持ち込んで、便器に座り便との闘いに望んだ。便との闘いと言うよりは、自分との闘い。いかに腸をコントロールして便を体内から地上に降り立たせるか、それがテーマなのである。
便との闘いは長時間におよぶこともあるので、トイレに本を持ち込むことで退屈から開放される。
 自宅では俺がトイレに本を持ち込む行為を家族はうっとおしがっている。俺がなかなかトイレから出て来ないため、次の順番が回ってこないからだ。
 だが、この、たった一人のホテルの部屋では、家族に邪魔されることもなく俺は便との対話を長時間かけて行うことができる。
 精神統一し、ヨガの呼吸法のように便器の上にあぐらをかき、重力の力を借りながらイメージを膨らませるのだ。小腸から直腸へ、そして肛門へ。
 しかし、なかなか簡単にはいかない。俺は30分から1時間ほど、便との闘いを試みたが、このままでは寝不足になると思い便所から出て来た。
 大丈夫だ。明日は必ずすっきり出すぜ!
 まだ、集合まで時間がある。もう少し、寝よう。

 ヤンゴン行きの飛行機の乗客は日本からシンガポールへ行くときと違い、日本人の姿は少なかった。
 シンガポールの飛行機とは違い小振りな飛行機だったが、こちらの方が乗り心地が良い気がした。
「サングラスや帽子は持ってきました?」と矢野閣下が言うので、
「矢野閣下の言われたモノは全部持って来ました。」と答えると、
 矢野閣下は自分のサングラスはネコ眼鏡という会社のものだと説明してくれた。
「ネコ眼鏡?変わった会社名ですね。確かパソコンは」
「パソコンはマウスコンピューターです」
「ネコ眼鏡にマウスコンピューターですか、おもしろいですね」
  我々は他愛もの無い会話をしたり、本を読んだりしながら、飛行機での退屈な時間を過ごした。
 シンガポールからヤンゴン空港まで二時間くらいのフライトのようだが、渡されたスケジュール表には現地時間しか書かれていないから、時差を考えると実際のフライト時間が何時間なのか、わけがわからなくなった。日本とミャンマーはだいたい2時間半くらいの時差があるとのことだった。

 ヤンゴン空港に近付いて来た。そろそろ憧れの地ミャンマーだ。ミャンマーはどんなところだろう。本当に暑いのだろうか。
 どれほど暑いのだろうか。あまりに暑いのは勘弁して欲しい。腹具合に影響する場合もある。
 入国カードという存在を初めて知った。英語で書かれているので意味がわからない。地球の歩き方に書かれていたものを真似して、それでもわからないところは閣下のものを真似して書いた。こんな場面で、英語が出来ないということを悲しく感じた。
 そんなことをしているうちに、飛行機はヤンゴン空港に近付いて来た。
 空港の周りの景色は荒野とでも言おうか。シンガポールとは打って変わってビルなどは見当たらなかった。
 そして飛行機は滑走路に着陸した。
 我々は入国審査を終え、空港から外に出た。
 空港にはミャンマー在中のM社の方々が迎えに来ていた。我々はすぐにバスに乗り込みホテルに向った。
 確かにミャンマーは暑かったが、思ったより湿度が高くなかった。そしてすぐにエアコンのきいたバスに乗り込んだため、ミャンマーの暑さがどれほどのものか体感する暇もなかった。
 やはりエアコンはすばらしい。
 とりあえずバスは快適だ。
 M社の方が挨拶を終え、ミャンマー人のガイドにマイクが渡された。
「ようこそ、ミャンマーへ」
 若く美人のガイドは上手な日本語で話はじめ、そしてバスはホテルへと進んだ。
 ガイドの話を聞きながら、外の景色を見た。
 町並み、看板、歩く人々、犬、店、そして自動車。どれをとってもレトロではないか。おもしれええ。
 戦後まもない日本とでも言おうか、レトロマニアの人が、昔のタバコの看板やバス停のサイン、あるいはクラシックカーや郵便局のポストを収集しているが、ここではその必要は無いようだ。そのようなものは実際にまだ現実として使われているのだ。あえてレトロ趣味に走ることもあるまい。
 自動車は日本の中古車が多く走っていて、トラックなどは日本語で○○工務店とか○○工業とかと書かれたものもある。ミャンマーではそのように日本語で書かれた自動車が高く売れると聞く。
 ガイドさんがミャンマーについていくつか説明してくれていた。その中で特に俺の気を引いたのはチーク材のこと。ミャンマーでチーク材は政府が管理しているとのこと。チーク材を勝手に伐ったり、あるいは輸出したりすることは出来ない。罰せられるのだ。
 おお〜これは、現在のナルカリの本拠地である長野県木曽のひのきの歴史と同じではないか。
「ひのき一本首一本」と言われるくらい木曽ではヒノキ材が大切にされ、むやみに伐るようなことがあれば罰せられたということを職業訓練校で習ったことがある。なんと、ミャンマーでは「チーク一本首一本」ではないか、木曽とミャンマーがこんなところでも接点があったとは知らなかった。
 実は木曽とミャンマーには漆つながりもある。
 木曽谷には平沢という漆器が盛んな集落がある。実はミャンマーでも漆は盛んなのだ。その平沢がミャンマーとなんらかの漆のつながりを持っていたはずだ。間違えていたら申し訳ないが、確か技術研修のようなもので交流があったと思う。

 M社のマネージャーが言った。
「皆さん、犬には噛まれないように。狂犬病に気をつけてください」
 狂犬病?
 ミャンマーでは犬の予防接種はやっていないのか。というか、あの街を歩く犬はきっと野犬なのだ。何故か、やたらに犬がいる。
 バスから見た犬達は、どれも身体が細くて足が長くて毛が少ない。凶暴そうにも見える。気をつけなければ。
 高校生くらいの頃、散髪屋さんの店の前を歩いていたら、そこで飼っているプードルが突然俺に吠えて向って来た。すると店の女主人が慌てて出て来て、血相を変えて俺に言った。
「あんた、うちのワンちゃんに何かしたでしょ?うちのワンちゃんは人に吠えたりしないのよ、何かした?」
「してませんよ、ただ、歩いていたら吠えてきたんです。」
 俺は本当に何もしていなかった。
 さらに、小松という友達の家に遊びに行ったときのことだ。門から彼の玄関まで歩いていく途中、彼の家で飼っている犬が俺のケツを軽くみついた。
 小松は言った。
「おかしいなあ、こんなこと初めてや」
 そしたらなんだ、おまえは、俺が犬に吠えられたり噛まれたりするオーラを出しているとでも言うのか。いずれにしても犬を叱るよりも、俺に疑いをかける方が先じゃないか。
 少し話が横道にそれてしまったが、絶対にミャンマーの犬にだけは噛まれたくないと思った。
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2010年4月 6日 (火)

ミャンマーの糸のこ一族8

シンガポールの方が都会に思えたと書いたが、やはり訂正しておきたい。
シンガポールと東京の違いは、シンガポールの方が東京よりリゾート地のような印象が強いということかも。東京は確かに大都会で、ごみごみしていて建物のデザインなどにおいては、どこの近代日本もそう変わらないと思うのだけど、統一性が無く、品がないイメージがする。
そういう雰囲気と違いシンガポールは建物にどこか美しさと品が感じられた。
人口が多くて経済が発展していてゴミゴミとした街を都会と呼ぶにふさわしいのか、それともシンガポールのように、緑が多く、統一性のある雰囲気が都会と呼ぶにふさわしいのか、それは個々の捉え方なのかもしれない。ただ「みやこ」としてとらえると、東京のみやことは言いがたいものがある。どちらが「みやこ」としてふさわしいかと思うと、シンガポールなのかなと感じたりする。しかし、それは遠目に見たシンガポールの印象であって、実際にいろいろ見て歩いたら、また違う印象なのかもしれない。

さて、本日泊るホテルについて荷物をおき食事に行く事になった。何十回建てとかのビルの上の中華料理屋さんでの食事との事。
俺は少し不安を抱いていた皆での会食。食べ過ぎたり、お酒を勧められたりして、腹の調子を崩さないように自己管理するのが俺の本日の仕事。そんな思いだった。
 自己管理は大事だ。俺は今回の入院でかなりこりていた。だから俺は食事会が始まっても、いつものようにむしゃむしゃ食べる事もなく、また助かったことに、皆に食う事や飲む事も迫られることもなかった。

皆の飲むタイガービールを俺もごくごくと飲みたい思いも多少はあったが、俺はなんて名前か忘れたが花びらが入ったお茶ばかり飲んでいた。
 食事会の中で自己紹介コーナーがあり、俺は自分がイトノコマンであること、今回はユタカさんに同行して糸のこのネタを探しに来たという事、そして持ってきた木の製品をいくつか見せたりした。
 もちろん俺が糸のこ一族だということはここでも話すことは無かった。糸のこ一族は伊賀の忍者や甲賀の忍者と同様、その素性を簡単に明かすことはない。
 俺が皆に対して「私は糸のこ一族です」と言う事は、周りの空気を一瞬、止めてしまうくらい奇異なことなのだ。
 ようするに、この現代社会において「私は忍者です」と言う事ほど奇異ではないにしても、さして変わらぬ告白なのである。

あるいは、ただの冗談だと受けとめられるくらいのものだ。

食事会の後半に出て来た激辛の麻婆豆腐を皆は「辛い、辛い」と食べていたが、もちろん俺はそれを避けた。ただ紹興酒の誘惑には負け、おちょこ二杯くらいは飲んでしまったが、それは適当な薬となったのではなかろうか。

俺の腸は特に異変を起こす事も無く無事に食事を終え、そして、一行はマーライオン観光へと出かけた。

矢野閣下が「お腹大丈夫ですか?」と気遣ってくれるたび、

「大丈夫です。たぶん、もう良くなってると思います。ただ、たくさん食べることは控えますね」と繰り返した。


シンガポールの夜景は奇麗だった。
はじめて生で見るマーライオン。
そう言えば以前、糸鋸寿司でマーライオン作ってくださいと注文があったことを思い出す。

さあ、明日は4時起きだ。

ミャンマーはいったい、どんなところだろうか。

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2010年3月31日 (水)

ミャンマーの糸のこ一族7

シンガポール

シンガポールに到着して、俺はすぐさま長袖シャツから半袖シャツに着替えた。だいたい、木曽を出るときは吹雪いていたような天候で、朝方ならまだマイナス10度くらいはあったんじゃないかという寒さだった。

出かけるときは雪があったから、俺はスノーシューズのまま家を出て来てしまったくらいだ。

 靴に関しては矢野閣下に「つっかけ」のようなものがあると便利だと聞いていたので、その言いつけを守り服部半蔵とかかれた雪駄を持ってきていたので、すでに飛行機の中でそいつに履き替えていた。

マイナス10度の世界から30度を超える世界へと7時間のフライトで、急激に温度は変わった。

時差は一時間ほどあるらしい(シンガポールは日本より約1時間遅れ)。

入国審査を終えた。女性の係員の態度が悪いことが気になった。偉そうな顔でパスポートを見て「ふん!」て感じだ。どこもあんなものだろうか?

英語のわからないよそ者の入国を厳しくチェックするには、あのような態度でなければ勤まらないのかもしれない。それとも、あのような態度で勤めるように指導されているのだろうか?

俺が世間知らずなだけだろう。

しかし、いずれ、世界は糸のこ一族の手の中だ。今に世界的なイトノコマン「ナルカリ」をあの係員も笑顔で迎えたくなるだろう。ふふ、ふふふ、ふゃひゃははははは〜〜〜。

一行はロビーに集結した。しばらくして、おばちゃんのガイドが迎えに来てM社のマネージャーとこれからの予定などを相談していた。

おばちゃんガイドは綾戸智絵 (あやどちえ)に似ていた。顔も年格好も綾戸智絵似で、日本語がなかなか上手かったが、喋り方も綾戸智絵 (あやどちえ)に似ていると思った。

バスが待つ時間があったので、俺はトイレに行ったら、シンガポールのトイレの案内表示は男も女も青色だった。ネタ作りだと言って写真を一枚撮った。

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シンガポールっていったいどんな国なんだろう。

お金持ちの国だと聞いた事がある。マーライオン?道ばたにゴミを捨てたら罰金を取られるとか。それくらいしか知らなかった。

我々は少し古びたバスに乗り込みホテルに直行した。

バスから見る景色はビル、マンション、緑。ビル、マンション、緑、ビル、マンション、緑。

「なかなか奇麗なところじゃん。都会だなあ」

俺は初めて来たこの場所にワクワクした。建物は結構奇麗なデザインだ。建物の中にある木々と緑は心地よかった。

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シンガポールの綾戸智絵がシンガポールについて説明をしてくれた。

「シンガポールは緑が多い国やで〜〜」

ほお〜確かに緑が多い。

「シンガポールは罰金の国でっせ〜」

やっぱり罰金だ!!

「シンガポールは建物を建てるスペースがありまへんねん。だから、マンションとかビルとか上に上にと建てよるんですわ〜」

と、本当は大阪弁では言わなかったが、ここでは敢えて大阪弁にして綾戸智絵 (あやどちえ)のイメージを感じてもらいたいと思う。

さて、俺のシンガポールの印象は、東京よりも都会に思えた。大きなビル、奇麗な町並み、高級自動車、そして、カジノもあるらしい。ここは街全体がレジャー施設のようにも思えた。

もちろん、空港からホテルまでの間を見ただけなので、他へ行くとどうか知らないけど、でも、俺の頭の中には「シンガポールは都会」がインプットされた。

「世界はこの目で見ないとわからないぜ!!」


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