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2016年7月の4件の記事

2016年7月17日 (日)

そういう自分に私はなりたい

Photo 脇見もせず、木工品の製作に没頭し、

他人と比較をせずに人生を真っすぐに生き、

また、悔やまぬように生き、

おだやかに、人にやさしく、妬みもせず、悪口も言わず、

世の中の言葉に振り回されず本質を見極め、

それを信じて生き抜く。

そういう自分に私はなりたい。

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夢は叶えてからが重要なのかもね

30_2 夢というのは、叶えてから、いかに付き合うか、そこが重要だと思うんだよね。
例えば、木工作家になっても、やめていく人も多い。

それに前までは、なることを夢見て、会社辞めて、学校へ行ってって人も多いと思うんだよ。
田舎に引っ越して、工房かまえて、実際に商売を始めて、そこから、いかに持続していくか、いかにモチベーションを保つか。

だから、叶えてからが、また一つの勝負なんだよね。

さらに、新しい夢を持ち、今を保ちながら、あるいは、今を変えて、新しい夢を見るのも、もちろん、有りなんだよな。

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2016年7月12日 (火)

自然栽培の真似事で気がついたこと

5、6年前から家庭菜園で自然栽培の真似事みたいなことをやっていて
自分なりの意見

自然栽培ではまったく畑を耕さない方法というのがあるが、耕さないよりも、タネを植える前に畑は耕し、その後、ほったらかしが良いのではないかと考える。(畑をまったく耕さずに5、6年やってみたけど、その方法よりも、一度、耕してほったらかしが良いと今のところの判断)

除草や消毒、肥料は与えなくても、作物はある程度は生育するのではないかと感じる。

でも、ニラのような野菜は、一度、植えたら、その土地を耕さずにほったらかしていると、毎年、何もせずに育つし、根元から切って収穫するから、年に何度も収穫できる。

ミョウガもほっておりて収穫出来るからありがたい。

まあ、これも趣味程度の話です。

自然栽培の危険性は。
他人から、草を伸ばしていると指摘されたり、嫌悪されたり、あるいは、草と一緒に苅られてしまったりという事態に陥りやすい。

だけど、このような自然風の栽培をしていると楽しいことがいっぱい。草を伸ばしっぱなしの畑ではカマキリやバッタ、アマガエルにもよく出会う。

蛍がいなくなった原因は消毒によりカワニナがいなくなったという話もあるし、消毒をしないことで、たくさんの生物が生きれる環境が作れると思う。

もっとも、家庭菜園で消毒をする人はほとんど、いないかな。

ある程度の面積で農業をしている人が農薬を止めれば、生態系が大きく修復されることは間違いないのだと思う。

化学肥料についても、効率的だと思われているが、ほったらかしにしても作物が育つとしたら、時間やお金の有効性から考えたら、どちらが効果的なのだろうか。

消毒や化学肥料を施した畑の作物と、何もせずに自然風に育てた作物では栄養価がけっこう違うとの話も聴く。もちろん、どちらが身体に良いかということは、想像すれば用意に判断できる。

奇跡のリンゴの木村さんや、自然栽培の福岡さんの本を読むと、自然栽培って魅力的だなあって思いますよ。



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世の中の醜さを憶える中で、木という純粋な素材を使って作ってみたい

_0567 純粋に生きようとしたら、人に騙されたり
あるいは人に失礼な態度をとられたり
そういうことを繰り返すうちに、あきらめや、世の中の醜さを憶えていくのだろうか

学生時代に、うまく描けたパステル画をクラスメートに見せたら、突然、彼は持っていた鉛筆で、その絵をぐちゃぐちゃにした。
あっけにとられたし、何でそんなことをするのか理解もできなかったけど、
今では、そのようなことが起こるのが世の中だということが理解できる。
おもしろい。

もちろん、そこに悪意があったわけでもないし、それは、ある意味、事故のようなもので、そのときの相手の体調や気持がかみあわなかっただけなのかもしれない。

_0518_2あるいは、空虚になった気持のやり場がなくなって、暴れる人もいるのかもしれないし、あるいは、その人自体も自分をコントロールできないときもある。

だから、それは、仕方のないことであり、生きているとういうこともあるのだと、そんな風にも感じるのです。

何が正しくて、何が間違いなんて、人それぞれ違うのだから。法律や憲法でそれを決めたとしても、解釈の違いもあるし、小説の世界では、悪役が裁判官を買収して罪をまぬがれるが、現実では、どの程度、そのようなことが起こっているのだろうか。

僕に出来ることは
そんな世の中をどこかに感じながら

日々、木という純粋な素材から
何を作るか、何を生み出すかということ

そのことが続くのなら
もっと、感動させるものを作ってみたい

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