2012年5月25日 (金)

ここのところ、facebookとかツイッターとかに記事を書くせいか、ブログの更新をしなっくなってきた。

さて、会社の寿命が20年と言われる時代、自営木工も15年もやっていると、、やりつくした感じに直面してしまい、今後の展開を考えてしまうのだが、やはり、同じ頃に同じような仕事をはじめた友達や仲間にも、同じように壁のようなものに直面しているものがいることを知る。そして同じように新たな展開や方向を模索している。

壁にぶつかるってのは大切なことで、その壁がなければ人は成長しないかもしれない。壁にあたり、壁を超えることをあきらめることも一つだが、その壁を乗り越えた先には新たな世界が開けているといっても過言ではないだろう。方向を変えるか、乗り越えるのか、はたまた、そこで立ち止まるのか、いろんな選択肢があるってものだ。

さて、俺はと言えば、やっぱ、今までの仕事の先にある、新たな世界へ冒険してみるぜ!!へへ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年5月14日 (月)

ミラクルトイ予告編

imovieのソフトについている機能を利用して、ミラクルトイの予告編を制作しました。
現在、この自主ビデオ映画のミラクルトイは6割ほど撮影は完了しております。なんとか、今年中に完成させたいと思っています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年4月25日 (水)

小説

ミレニアムを読んでから、小説にはまってしまって、ここのところ数冊読みました。
中には途中で読むのが止まってしまうものもあったけど、読んだ本は、だいたい面白いもので良かった。
こんなに小説を読んでいあるのは、生まれて初めてなんだけど、読むのは推理的要素の入ったものがお気に入りです。

そのせいでしょうか、視力が落ちました。暗い所で本を読んだりするのがいけないのでしょうね。工房にかかっている時計の針が見えにくい。ああああ。でも歳のせいもあるのでしょうか?
老眼になったと思っていたら、今度は視力が落ちてきた。でも、そう思えば、少し老眼が緩和されてきたような気もします。

自分も面白い小説が書きたいなあ。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年4月23日 (月)

表現者

90歳を過ぎても、背筋をピンと伸ばして歩いている、現役の木工職人さんを知っていますが、すごく格好良いです。その方を見習ってというわけでもないのですが、僕は108歳まで電動糸ノコや木工をやることが目標だと言っています。

以前、糸ノコ寄席(糸鋸寄席)という芸をはじめたとき、これが紙切り芸の雰囲気を持つ糸鋸芸ということで、着物を着て正座して糸ノコをやるんですが、糸ノコロックのような激しい動きは必要なく、強いてやるなら、紙切り芸のように前後に揺れる程度のことで十分かもしれません。これなら、108歳で現役も夢ではないと思っています。

正直、この糸ノコ寄席は、村の地区の記念宴会の催しとして呼ばれたときに、試しにやってみたことから始まりましたが、とにかくやってみなければ何もわからないということを頼みに、やってみるんですが、ぶっつけ本番でやってみると、お客さんも酔っているせいもあったのでしょうが、思った以上に盛り上がりました。早口で喋っていますが、とにかく緊張と恐怖でした。

108歳になったら、もう少し、落ち着いていると願っています。

ところで、こういう芸を人前で始めてやるときは、どうなるかわからないっていう緊張感でいっぱいになります。こういう緊張感は最初は怖いのですが、やり出すと、これが病み付きになってくるんです。

無難な芸にならないように、自分の気持ちを高いところに置いて挑むんです。
終わった後に、すっきり感のときもあれば、失敗だ〜て嘆くことだってありますが、その、はじまる前の緊張感が、どんどん病み付きになっていくんです。

糸鋸寿司だって、はじめてやるときは、すごく緊張しました。糸鋸占いはさすがに人前でやってませんが、その後の糸ノコロック、糸鋸魔人や原始人だって、やる前はすごく緊張しました。これやって大丈夫なんだろうかって。

すぐ飽きちゃうから仕方ないのもあるのですが、新しいことを思いつくと、とにかくやってみたいです。新しいことが思いつかず、もがいているときもありますが。

さて、芸術とか、芸事とか、物作りもそうですが、それは表現というくくりの中に入ると思います。そういう意味では僕は表現者だと思っています。

まあ、人間が生きている以上は表現者なわけです。

好きな女の前で、口説き文句を言っている男も表現者でもあり、取引先から仕事を掴むサラリーマンも、子供達に美味しい料理を作るママも表現者なわけです。

僕は、糸ノコで何かやることを糸ノコ表現だと言っています。

糸ノコで作ることも演じることを中心にしていますが、糸ノコを題材にした漫画を描いたり、歌を作ったり、小説を書いたり、また、糸ノコ以外の題材で、例えば小刀を使って木を削ったり。いや、木工以外にも、いろんな表現をしています。

誰もが、そうです。あなたも表現者です。

表現というのは前向きなものもあれば、こもって、後ろ向きな表現だってあると思います。

その中で、僕は特に糸ノコ表現を選びました。

まだまだ、いろいろネタは続きそうです。尽きると思っても尽きない。まだ尽きない。歳をとれば、歳をとったことで新しい自分が作られるのだから、ネタは尽きない。同じネタでも、歳の違う自分が演じれば、違うネタになる。それは、そのとき感じる心が、そう思うからなんです。

108歳のとき、僕はどんな糸ノコ表現をしているのでしょうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年4月14日 (土)

ウッドクラフト・ギャートイズ!!爆発から膨張へ。

1334373717418.jpg
ガイコツパズル目玉付き:3990円(税込)

ナルカリクラフト15周年になり、心機一転したいと考える。屋号を変えようかとも思った。

候補としてズートイズ、トイズーなどを考えたが、これらはネットで調べたら、すでに存在していた。

今日、思いついたのが「ギャートイズ」。言わずと知れた「はじめ人間がギャートルズ」のパロディみたいなものだ。

「ウッドクラフト・ギャートイズ」。

考えてはみたものの、屋号は変えない方が良いと思うので、一つのブランドのような形、例えばシリーズのタイトルのようなものや、糸ノコショーのバンド名などに良いのではと思う。

「なんだこれは!?」「なに?これ!?」僕の物作りの考え方の基本のようなもの。
「ギャー!!(何これ?)」「toys』みたいな感じ。

僕の木の仕事のミッションは「電動糸ノコや木のおもちゃ作りを駆使して、皆様に驚きと感動を与えること、そして、木の良さ、自然の良さを、、クラフトエンターテインメントを通して伝えて行くこと。

これまでの木工人生が「爆発」だとするならば、次は宇宙と同じように「膨張」していくしかないのかもしれない。

「膨張」すなわち、広げて行くこと、よりたくさんの人に伝えて行くことなのかもしれない。

1334373722221.jpg
カエルの解剖パズル:3990円(税込)の予定。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年4月11日 (水)

ガイコツのようじたて

ガイコツのようじたて
1334138028982.jpg

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年4月10日 (火)

第一章「爆発篇」を終えて。

「アーティスト」と「ヒューゴの不思議な発明」この映画に共通点があった。それは、どちらも一度、栄光を手にした人間が、その栄光から遠ざかり、落ちぶれたり、心を閉ざしたりしてしまって、最後には再び再起するという物語だということだ。
 その映画に自分を照らし合わせてみてしまった。彼らのように栄光をつかんだことがあるとは言わないが、電動糸ノコパフォーマーとして、自分の中で盛り上がった時期からしてみれば、そのピークが過ぎたような虚無感のようなものが、最近、自分の周りに漂っていたのだから。
 まあ、正直、毎年、一度くらいは、もう終わりだ〜〜〜くらいの恐怖感は味わっているのは事実だとしても、なんども、そういう危機から這い上がり、ここまでやってきたに違いないのも事実だ。
 しかし、俺はこの15年間、とことんやってきて、やり尽くした感じもしてしまった。
 だが、本当にやりつくしたのか?そういう問いを自分に問いかけても、そうだとは言えない。
「アーティスト」と「ヒューゴの不思議な発明」の登場人物達も、最後には、その危機から復活し、再び明るい光の中で照らされたように、俺もまた、同じように、輝いてみせよう。
 言葉というのは言ったもの勝ちだ。
俺の糸ノコ木工物語の第一章「爆発篇」は終わった、これから第二章の「世界篇」、、、。んんん。そのことは、今は決まっていないが、第二章にすすんでいこうと思う。
 予定では、まだ、第三章、第四章あたりまで、やることになっている。だって108歳まで生きると決めたのだから、15年×3で45年。その計算で行くと第5章くらいまでになる。最後の章は「完結篇」ということにしよう。
 まあ、何度もここで書いたことがあるが、危機が迫ると、それがチャンスを生み出すのださ。もちろん今までの経験からも言えることなのさ。
言葉は一人歩きする。
 だから、言ったもん勝ちさ。
 さあ、この輝くべき第二章、どんな面白いことをやってのけようか。
 まだまだ、アイデアは山のように出て来るってものさ、はは。
 ベイビー、俺を信じろ、ふふ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年4月 1日 (日)

カスタネットの面取りを強化します。

カスタネットの動物の入っている穴の面や動物の面が、危ないのではないかというご指摘をいただき、早速、今、作っているカスタネットの面を大きくとるようにしました。これから製作していく物に関しては、今まで以上に安全に注意していこうと思いますので、今度ともよろしくお願い申し上げます。
Photo


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月26日 (月)

伝統について

先日、ツタンカーメン展の前で並んでいたら、息子が吐きそうになってきて、その列から離脱して、見ずに帰ったんだけど、そのおかげと言ってはなんですが、次の日、国立民族学博物館を見に行きました。おかげで、太陽の塔も見れて、子供も喜んでいました。

国立民族博物館を久々に見て、僕の中に新たな発見がいくつかあって、本当に意義のあるものでした。
見ていて、ふと「形式にこだわる」と言うことの無意味さを感じてしまいました。この館に集められた、いくつかのものから、形式とは無縁の自由さを感じたからかもしれません。

さて、伝統についても、少しだけ考えてみました。

もしかして、伝統と言うのは自然に残るもののことであって、残そうとするものではないのかもしれないです。

博物館に展示する物であって、その土地にわざわざ残そうとするものではないような気もしました。

消え行く物は消えて、僕たちは新しい伝統となるものを生み出していかなければならないんです。少なくとも、伝統に甘んじたり、伝統に縛られるものではないと思います。伝統は生み出して行く物です。

とは言っても、人々が古い物を大切にする行動を否定しているのではありません。言いたいのは、本当に残るものはおのずと残り、必要のなくなったものは消えて行く、古いものに、ただ甘んじたり、縛られたりするものではないと言いたいのです。

(少なくともアレンジしていかなければならない。)

僕たちは新しい世界を築いていかなければならない。そのためには古い伝統に釘を打つ勇気も必要なのかもしれません。そうしないと次の扉は開かれない。

まっさらにして、もう一度、僕たちの力で、未来へと残る伝統を生み出そうじゃありませんか。

そんなことを、思いました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月23日 (金)

ヌートリア

朝4時です。

昨日は、20日に行った糸ノコショーのための筋肉痛と、また、その前日と翌日にかなりの距離を歩き回ったことも合わさってか、肉体疲労と筋肉疲労で大阪の両親の家で寝ておりました。(※20日の糸ノコショー&ワークショップは写真を入手次第レポート予定)

21日にはユニバーサルスタジオジャパンに行ったのですが、おっさん3人(親父と兄貴と俺)と今度小6の息子と4人だったので、いまいち盛り上がることが出来なかったですが、USJに罪は無く、アトラクションの内容はかなりボリュームのあるエンターテインメントだと思います。

<豆知識>おっさん3人と男の子1人でのUSJは盛り上がりにかける。

<プチ情報>息子が爺ちゃんと淀川に釣りに行ったのですが、そこで巨大ネズミを見たとのこと。どうやら、それはヌートリアというネズミの一種で、最近、淀川に出没するらしいです。息子は最初にそれを見たとき「お爺ちゃん、ネッシーがいる」と言ったようですが(もし、いたとしても淀川だからヨッシーだろうな)、ネッシーではなくてヌートリアというネズミの登場にも感動をしたようです。

昨年の夏は、ザリガニ釣りで盛り上がりましたが(※一日に50匹くらい釣り上げた)、木曽にはいない生き物に感動をしている息子です。

近所に「カミツキガメに注意」という張り紙がはってあるようで、逃げ出したペットでしょうか?もしかしたら淀川にワニが出没することも近い将来にあるような気もします。

木曽で経験できないことが大阪のコンクリートジャングルで経験できるということは、子供にとっては新鮮なことかもしれません。

木曽では歩かないのですが、とにかく大阪に来たら、歩きます。歩く気がします。自動車乗るより歩きます。

不思議な感じがしますね。昨晩は本屋さんまで往復40分くらい息子と歩きましたが、路地を歩きながら、横にある家や建物を「建物を岩だと想像してみな、あの自動車はサイだ。俺たちは冒険家だ」と、想像を巡らして夜の街を歩きました。

田舎にいても、都会にいても、そのことを、どのように楽しむのかという気持ちや、想像力があれば、自分の周りの物すべてを面白いものに変えることができるのかもしれません。

さて、今日は「ツタンカーメン展」に行ってきます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«伝説の糸ノコマン、ジョン・クーガー