2016年8月28日 (日)

やっぱり貯金だな

ここから、抜け出し、そっちに行くために必要なもの
やっぱり貯金だな。

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2016年8月24日 (水)

ヒヒーンのレリーフ

10〜15年前くらに作ったかな? このナルカリクラフトマスコットキャラクター「ヒヒーン」のレリーフですが、昨日、お店でお客様がご購入くださいました。

ずっとお店にあったので、少し寂しい気持もあります☆
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2016年8月 7日 (日)

真実は裏にある

真実は、目の届かないところにあるのかもしれません。

目に見える、聴こえる、そこに真実はなく
そこから見えない裏にある。
そうやって思うと
あなたは間違っていない

私も間違っていない

そうやって思って

あなたの心の奥深くにある、誰にも理解されていないその気持こそ
まさに真実なのかもしれない。

表に出た途端、それはすべて、真実ではなくなるのだと

なんてね

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2016年8月 4日 (木)

クラフト大サーカスの可能性

これまで、スタジオナルカリとして単独で電動糸ノコライブを行ってきました。

クラフト大サーカスでは様々な演者によるパフォーマンスを行う。これは、ひとえにサーカスのような楽しみ方をウッドクラフトでもできないかという新たなステップだと思っています。

木工旋盤パフォーマーや、ラップ竹とんぼ、あるいはカンナを取り入れた音楽とか、そんなような演者が現れ、それを演じることで、木工やクラフトをもっと身近に、もっと玄関を大きくして、知ってもらい、興味を持ってくれる入り口となるのでないかとも。

自分はそのような仲間と一緒にクラフトでサーカスをやってみたいと、ずっと思っていました。

また、お客様がクラフト大サーカスを見たことで、木工やクラフトに興味を持ち、そのことから、木工やクラフトの奥深さや、本格的な作品や技を知ってもらえるきっかけになるのかもしれません。

今後、人工知能やロボットが発達していく中、人間にしかできない技、ロボットでは表現できないニュアンス、肌のぬくもりや、人間特有の言葉の訛りや、汗、涙。

クラフトエンターテインメントが一つのウッドクラフトのジャンルとして、輝ければ、私もまた一つ輝けるのかもしれません☆

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電動糸ノコは、ただ木を切るためだけの機械ではありません

_4826 「電動糸ノコは、ただ木を切るためだけの機械ではありません。使う人間によって大きく意味が変わるんだ。もしかしたら世界平和の道具になるかもしれない」

これは電動糸ノコショーの最後に叫ぶ決め台詞です。

私たちは、この道具はこういうものだ。これはこのように使う物だ。と、道具や仕事、遊びを教わってきます。

それはもっともなことで、なんら間違いがありません。

この決め台詞で伝えたいことは、世の中は考え方一つで、よくもなれば悪くもなる。あるいは、少し斜めから物事を考えることで、別の意味が生まれて来る。そんなようなことです。

例えば、銃です。それは、狩猟の道具やオリンピックの競技の道具でもあれば、戦争や人殺しの道具でもあるということです。

電動糸ノコが世界平和の道具になるかどうか、とてもほど遠いようなことにも思えますが、

電動糸ノコで切り抜いた木の動物を手にした人が、そこから木の温もりを感じ、

そこから森の存在を知り、

また、その森から地球の温もりをしり、

そこから人と地球の関わりを知り、それが他人への愛となり、愛し合い、認め合い、信じ合うきっかけになり、

戦争や争いを止める大きな力となる。

私の言いたいのは、世の中のもっともだと思われていること以外に、別の隠された事実があるのだということなのかもしれません。

そして、それを、そこから引き出すのは自分自身なのです。

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2016年8月 1日 (月)

2016年8月2日〜7日のクラフト大サーカスに企画、出展、出演です

毎年行ってきた、いいだ人形劇フェスタ期間中のナルカリクラフト展示ですが、今年は数人の仲間と「クラフト大サーカス」という団体名として「クラフト大サーカス」というタイトルで展示、イベントを行うこととなりました。
是非、遊びに来てくださいね。

妙音の「ノコギリ音楽」のノコギリとギターの演奏は、素敵な音色で心が癒されます。
ヤギさんのマジックショー。彼の人柄に微笑み、子供たちを楽しませるやさしいトークとマジック、今回はナルカリクラフトのおもちゃを使った手品にも挑戦してくれます☆

糸ノコキャットによるワークショップは、超大人向けの高級木工カラクリです。ぜひとも大人に参加してもらいたいワーックショップです。

また、私は、電動糸ノコショーを今年もやりますよ。もしかしたら糸ノコキャットにも登場してもらうかも、乞うご期待あれ。

そして、今回はナルカリクラフトと糸ノコキャットの展示販売を行います。
糸ノコキャットの作品は、カラクリを中心とした作品です。

さあ、来てくださいね☆
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2016年7月17日 (日)

そういう自分に私はなりたい

Photo 脇見もせず、木工品の製作に没頭し、

他人と比較をせずに人生を真っすぐに生き、

また、悔やまぬように生き、

おだやかに、人にやさしく、妬みもせず、悪口も言わず、

世の中の言葉に振り回されず本質を見極め、

それを信じて生き抜く。

そういう自分に私はなりたい。

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夢は叶えてからが重要なのかもね

30_2 夢というのは、叶えてから、いかに付き合うか、そこが重要だと思うんだよね。
例えば、木工作家になっても、やめていく人も多い。

それに前までは、なることを夢見て、会社辞めて、学校へ行ってって人も多いと思うんだよ。
田舎に引っ越して、工房かまえて、実際に商売を始めて、そこから、いかに持続していくか、いかにモチベーションを保つか。

だから、叶えてからが、また一つの勝負なんだよね。

さらに、新しい夢を持ち、今を保ちながら、あるいは、今を変えて、新しい夢を見るのも、もちろん、有りなんだよな。

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2016年7月12日 (火)

自然栽培の真似事で気がついたこと

5、6年前から家庭菜園で自然栽培の真似事みたいなことをやっていて
自分なりの意見

自然栽培ではまったく畑を耕さない方法というのがあるが、耕さないよりも、タネを植える前に畑は耕し、その後、ほったらかしが良いのではないかと考える。(畑をまったく耕さずに5、6年やってみたけど、その方法よりも、一度、耕してほったらかしが良いと今のところの判断)

除草や消毒、肥料は与えなくても、作物はある程度は生育するのではないかと感じる。

でも、ニラのような野菜は、一度、植えたら、その土地を耕さずにほったらかしていると、毎年、何もせずに育つし、根元から切って収穫するから、年に何度も収穫できる。

ミョウガもほっておりて収穫出来るからありがたい。

まあ、これも趣味程度の話です。

自然栽培の危険性は。
他人から、草を伸ばしていると指摘されたり、嫌悪されたり、あるいは、草と一緒に苅られてしまったりという事態に陥りやすい。

だけど、このような自然風の栽培をしていると楽しいことがいっぱい。草を伸ばしっぱなしの畑ではカマキリやバッタ、アマガエルにもよく出会う。

蛍がいなくなった原因は消毒によりカワニナがいなくなったという話もあるし、消毒をしないことで、たくさんの生物が生きれる環境が作れると思う。

もっとも、家庭菜園で消毒をする人はほとんど、いないかな。

ある程度の面積で農業をしている人が農薬を止めれば、生態系が大きく修復されることは間違いないのだと思う。

化学肥料についても、効率的だと思われているが、ほったらかしにしても作物が育つとしたら、時間やお金の有効性から考えたら、どちらが効果的なのだろうか。

消毒や化学肥料を施した畑の作物と、何もせずに自然風に育てた作物では栄養価がけっこう違うとの話も聴く。もちろん、どちらが身体に良いかということは、想像すれば用意に判断できる。

奇跡のリンゴの木村さんや、自然栽培の福岡さんの本を読むと、自然栽培って魅力的だなあって思いますよ。



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世の中の醜さを憶える中で、木という純粋な素材を使って作ってみたい

_0567 純粋に生きようとしたら、人に騙されたり
あるいは人に失礼な態度をとられたり
そういうことを繰り返すうちに、あきらめや、世の中の醜さを憶えていくのだろうか

学生時代に、うまく描けたパステル画をクラスメートに見せたら、突然、彼は持っていた鉛筆で、その絵をぐちゃぐちゃにした。
あっけにとられたし、何でそんなことをするのか理解もできなかったけど、
今では、そのようなことが起こるのが世の中だということが理解できる。
おもしろい。

もちろん、そこに悪意があったわけでもないし、それは、ある意味、事故のようなもので、そのときの相手の体調や気持がかみあわなかっただけなのかもしれない。

_0518_2あるいは、空虚になった気持のやり場がなくなって、暴れる人もいるのかもしれないし、あるいは、その人自体も自分をコントロールできないときもある。

だから、それは、仕方のないことであり、生きているとういうこともあるのだと、そんな風にも感じるのです。

何が正しくて、何が間違いなんて、人それぞれ違うのだから。法律や憲法でそれを決めたとしても、解釈の違いもあるし、小説の世界では、悪役が裁判官を買収して罪をまぬがれるが、現実では、どの程度、そのようなことが起こっているのだろうか。

僕に出来ることは
そんな世の中をどこかに感じながら

日々、木という純粋な素材から
何を作るか、何を生み出すかということ

そのことが続くのなら
もっと、感動させるものを作ってみたい

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